柏崎刈羽原発に見学に行きました。
今日は、昨年の7月に新潟県で起きた中越沖地震によって被害が出た柏崎刈羽原子力発電所に施設見学に行ってきました。原発の内部まで見せてもらえるという貴重な体験をさせていただきました。
地震の影響で様々な事故が起きたことは、テレビなどでも記憶に新しいところだと思います。変圧器の火災、放射性物質の流出、またそうしたトラブルに対しての対応の悪さなどが連日のようにマスコミを騒がせました。日本に54基もの稼働中の原発がありますが、地震が多い日本で、原発が本当に安全なものなのかという不安を誰もが持ったと思います。すぐ近くに浜岡原発がある小田原も決して人ごとではない出来事でした。
今回の事故に対しては反省点がたくさんあるが、基本的には地震に対してしっかりと対応が出来た。また流出した放射性物質も全く問題がない量だ、という説明でした。施設の中には床が沈み込んだり亀裂が入っていたりと、まだあちらこちらに震災の後が残っていました。身分証明書を提示し、金属探知機で検査、靴下、靴などを履き替え、原発内を見学。設備の凄さに圧倒されるとともに、一歩間違えれば危険な設備のなかで何重にも施された安全対策、正直、緊張感と圧迫感で息苦しくなってしまいました。
柏崎原発は関東エリアに電気を供給していたため、今は古い火力発電所を復活させてなんとか電気をこれまでと同じ料金で供給しているとのこと。「安定した電気を安く供給することに誇りを持って仕事をしている」と東電の社員は語りました。
世界最大の柏崎原発。建設費は約2兆5千億円。1基の点検に約50億。火力発電所の燃料費だけでも年間負債が5000億にも膨らんでいるとのこと。とにかく、凄い金額の羅列に倒れそうです。
また約4000人の従業員のうち8割は県内に住んでいます。原発はこの地域に住む人々の暮らしに根深く影響しています。宿泊先の旅館の女将があいさつの中で「1日も早い稼働を願っています」とおっしゃっていました。
東京電力では今回の事故に対して、現状復帰ではなく、さらに丁寧な断層の検査などを経て、あたらしい耐震基準が国から示されるまでは、稼働再開はしないそうです。ならば、他の原発はどうなのか?現在個々に断層検査を行い、耐震対策をしっかりとしていくとのことですが、対策が終わっていない現状で、稼働していてよいのか。地震はもしかしたら、明日来るかもしれません。世界的には地震が発生するところには原発は作らない、日本は地震大国だから、原発を作るのはおかしい、という説もあります。
莫大なお金と、人々の暮らしと、重大な危険性を孕みながら、日本のエネルギー政策はどこへ向かうべきなのか。もっとシンプルで身の丈に合った取り組みはできないものなのかなー。わたしたちの暮らし方そのものを改めて考えさせられる見学会でした。
“柏崎刈羽原発に見学に行きました。”へ5件のコメント
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お疲れさまでした
ながながの書き込みが消えてしまった。でもぜひ、浜岡を見に行って下さい。これは中部電力ですから、別の方のアレンジでお願いして下さい。小田原にとって、この原発の被災被害は市民にとって致命傷です。
お疲れさまですが
柏崎、数字の恐喝に驚かないで下さい。中部電力ですが、稼働停止している浜岡を見て来て下さい。
お疲れさまでした
ながながの書き込みが消えてしまった。でもぜひ、浜岡を見に行って下さい。これは中部電力ですから、別の方のアレンジでお願いして下さい。小田原にとって、この原発の被災被害は市民にとって致命傷です。
行きたいところ
smatさま
前のコメントが「市長誕生」のところになってしまいました。混乱させてすみません。
そうですね。見に行きたいところ、知りたいこと、皆さんにお伝えしたいこと、たくさんあります。
エネルギー問題、ごみ問題、教育の問題。結局みんな繋がっているんですね。
ぜひ皆さんと共有したいです。
Unknown
原発のごみである放射性物質は青森の六か所村に運ばれて再利用のための処理をされようとしています。また原発施設全体では建設時から稼働時も含めてどれだけCO2を輩出しているのかはわかりません。
再処理が始まるまでは厳重に保管しなければならず、そのごみがたまりにたまってしまっています。
そう思うと、決してクリーンな電気ではないことがわかります。
人間のやること、完璧というのはあり得ないと私は思います。今回の事故で想定できないような事態が、今後起きるかもしれません。六か所で新たに見つかった断層はM8になるほどの大規模なものかもしれないということです。
とくに六か所では再処理後に出た放射性物質は、海と大気に捨てられます。濃度は薄まりますが、蓄積されればどうなるのかはわかりません。
便利で豊かできれいな暮らしを、どこかの地域の人々の負担によって手に入れているという構造。原発も米軍基地もごみ処理も食糧問題もすべて同じことです。お金をもらっているからいいだろう、というのもどうか。生活の質、いのちの循環、未来への責任。
それを考えれば、とるべき方向性は1つなんだけれど。