親ばかでない親はバカ!
これはミュージシャンの布袋寅泰氏のお言葉です。
基本的に私は、親子のあいだに教育なんてものはいらないと考えています。いらないというか、無理。自分の暮らし、考えの全てを子どもは見抜いている。どんなに言葉を尽くしたって、親自身の持っているもの以上を子どもに与えることは出来ない。その与えられたものをどんなふうに子ども自身が取り込むのか。それは子ども自身にゆだねられているし、決して侵すことは出来ない領域。同じモノでも、ある子どもはプラスに、ある子どもはマイナスに感じ、また表現もする。どの子にとっても良い方法などありはしない。素晴らしい子どもに育ったとしても、それは親のおかげではなく、その子が素晴らしいだけだ、と私は思う。たとえどんなに素晴らしい親であっても、こどもが素晴らしくない場合も大いにある。その素晴らしくない子どもでも、また別の人にとっては素晴らしい子どもだと思われる事だってある。
素晴らしいか素晴らしくないか、お互い選ぶことなんて出来ない。そうした大前提の上で、日々の暮らしをやっていくしかない。時には怒り時には泣き、そして喜び愛し合う。人様には見せられないような醜態を、お互いに見せるしかない。情けなくも愛らしい日常をやっていくしかないのだ。テレビドラマではないのだ。
それでも、他人がどう言おうとも、うちの子どもがこの世で一番素晴らしい子どもであるに決まっているのだ。そんな「恋は盲目」以上に盲目的な親子関係を、システム化できるはずがないし、システム化しようとするから、おかしなことになる。子どもを教育したいというのは、親にとっては麻薬のようなもので、ハマるとなかなか抜け出せない。それでも子どもは生きる力があるから、なんとかうまく育っていくものだなと思う。「生きる力がない」なんてのは、ナンセンス。こんな厳しい世の中で子ども達はたくましくずるがしこくしたたかに、時にはキレたり時にはサボったりしながら生き抜いている。
どの子もみんないとしくてかわいい、だからこそあるときは憎い、大事な誰かの我が子なのだ。どんな子どもだろうと、何よりも大事にされる存在であることが当たりまえ。
区別されたり差別されたりひどい目に合わされたりしないようにしっかりと社会の仕組みを作っていくことぐらいしか、子どものために大人ができることってないのかもしれないと思う。「いろいろあるけど、まあ、生きてて幸せだな。」とどの子も思うことができるように。そんなことさえも、いまの世の中は出来ていないのだから。
“親ばかでない親はバカ!”へ2件のコメント
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遊びをせんとや
ブログの内容とは無関係なコメントです。お許しください。
昨夜はわが地域の夏祭りに来場していただきありがとうございました。
この夏祭りに限らず、春祭り、どんど焼きなどは地域の子ども会が主催していましたが、子ども会へ加入する児童が減ってしまい、子ども会単独での事業遂行が困難になってしまいました。そのため数年前から実行委員会(自治会、子ども会、公民館が主体)形式でやるようになりました。
価値観の多様化や、娯楽サービスの商業化の発展などで、子ども会の存在意義が薄れてきたことはやむをえないことかもしれませんが、さびしいものを感じます。
子どもたちの喚声が日常生活の中から聞けなくなってしまって久しくなりますが、私は地域に
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
(梁塵秘抄)
となる生活が戻るのを夢見ています。夏祭りはその夢を一晩だけかなえてくれます。
Unknown
下堀のQちゃんさま
こちらこそ、お誘いくださいましてありがとうございます。知っている顔にたくさん会えて(同級生が2人も!)楽しい夜でした。これからも、よろしくお願いします。
子ども達のためのご尽力、本当に頭が下がります。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
素敵な言葉ですね。
子ども達に子どもとしての時間を十分に与えてあげたい、子ども達の遊びを大事にしたいと思って子育てをしています。昔は子どもの遊びに大人がついてくることなんてありませんでした。「遊び」という大人の介入のない子どもだけの濃密な時間を過ごすことが、子どもにとって一番大事なことだとおもます。子どもが真剣に遊ぶことに、大人の論理を用いてはならないと思っています。「時計」や「大人の事情」「世間体」。さらに今は「車」「不審者」「テレビゲーム」が入るでしょうか。
子ども達の濃密な時間を奪ってきたのは私たち大人です。子ども達の遊び場を奪い、小動物を奪い、子どもを金儲けに利用しているのです。素直な子ども達はそれにすっかり従ってしまっている。さらにひどいことに、私たち大人は平気な顔をして子ども達にたくさんの負の遺産と、希望の持てない未来を託そうとしています。
「遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ」
残念ながら、今は、遊ぶために生まれてきたと、思わせてくれるような社会ではありません。
子ども達の遊び声が響く地域になるために私たち大人が出来ることはなんでしょうか。
どんな選択をしても安心して暮らせる未来。すぐ近くで、車の心配をしないで思い切り遊べる場所。戯れる虫や草花がいつでも近くにいる自然環境。おいしい水と安全な農産物。そして、毎日安心して眠りにつける平和な日々。
戦後、青少年の凶悪犯罪は5分の一に減りました(増えていません、減っています)。その代わりに交通事故と、そしてそれを上回る自死が増えました。
この困難な時代をけなげに生きていく子ども達がどの子もいとおしいと思います。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
そんな地域が戻ってくるように、私も頑張りたいと思います。
下堀のお祭り、本当ににぎやかで、皆さん楽しそうで、子どものころを思い出させるようなお祭りだなと思いました!
私は盆踊りを踊るのが結構好きです。