終戦の日に考える

8月15日の終戦の日に、サポートセンターで行われた8.15の集いに行ってきました。これは女性史を専門としている宇佐美先生、「戦時下の小田原を記録する会」の飯田先生、ネットの檜山智子市議、松本茂さんほか有志の方たちが呼びかけ人となって毎年行っている集いです。
今回は先の戦争での日本の加害責任についてが語られました。戦争というと、広島・長崎の原爆投下や東京大空襲、シベリアでの強制連行など、被害の部分が強調されていますが、日本がアジアの国、特に朝鮮半島・中国・インドシナに対して行った加害の部分は、まだまだ認識としては薄いのが日本国民の意識の現状ではないかと思います。南京大虐殺や従軍慰安婦の問題などは教科書からもなくなり、史実として認めないという動きもあります。こうした加害を見つめなおす作業がなおざりなままでは戦争責任という点で日本はまだまだしっかりと責任を果たしたとは言えない状況なのではないかと私は思います。
 先日の参議院選挙で民主が勝ち、さらに当選した政治家の半数以上の人が憲法改正に反対を表明。安倍さんの「美しい国」的勢いもすっかり弱まり、改憲ムードは一気に下り坂になったいまこそ、改めて、平和に対する思いをたくさんの人と共有していくことが大切だなと思いました。今回の集いではこれまでになく参加者が多く、たくさんの方の普通の市民としての「戦争の記憶」が聞くことができて、戦争が日常だった60数年前をおもうと、今日の平和のありがたさと、反面つい先日までの恐ろしいほどの右傾化ムードを思い出し、平和とはほんとうに危うくはかないものだなという不安も感じました。
 広島・長崎に原爆が落とされたことを知らない若者たちのことが話題になり、平和教育の大切さが語られました。私たちの子どものころはやっぱり当たり前に知っていましたよね、戦争や原爆の悲惨さは。それがあるから、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という憲法の3大原則に、安心感を持ってたものです。いくらひどいったって、戦争で苦しむことにはならないんだな、とか、最低限の生活は保障されているから大丈夫なんだな、と子ども心に思ったもんです。そういった安心感を子どもたちが知らないというのはとても残念なことだなと思います。ただ、私自身は、これまでの平和教育がある意味押し付け的で「絶対的な正しさ」でもって思考停止を促してしまったことが、私たち世代を筆頭に、平和に対して「シラケ気味」にさせているのではないかと考えています。これからは「考えること」「議論すること」を前提とした平和教育が必要だし、「平和」だけでなく平和につながる様々な要素、環境や人権、暮らし方の問題も同時にしっかりと取り入れるべきだと思います。
うちの子どもたちは、今ビデオで「ガンダム」の全シリーズと「はだしのゲン」を並行して鑑賞しています。下の子どもは最近毎日のように「戦争ってどこかで今やってるの?」とか「戦争になるの?」とか聞いてきます。怖がりの彼は戦争をすごく怖がっているようです。「パパとママがいるから大丈夫だよ」と言いつつも、しっかりと約束できない自分。一応事実は説明しますが。しっかりと約束するために私ができることをしなくてはと思う今日この頃です。

終戦の日に考える”へ10件のコメント

  1. 笹村 出 より:

    議論を前提とした
    素晴しいと思います。大、大賛成です。
    自分が正しいと思ったからと言って、
    正義の押し売りは、効果がないどころか。
    逆効果。
    考える力を養うことが教育。

  2. 佐々木ナオミ より:

    Unknown
    どういう方法なら、考える力を養えるでしょうか?たとえば、コスタリカのビデオのように、身近なテーマから子どもたちが調べていくことや、自由な討論をして、教師はコーディネーターの役割をするとか。丁寧に検討したいですね。その時には市民の活動が大いに重要になってくるでしょう。
     それから、平和教育以前に今の教育のあり方が、子ども主体になっているか、子どもたちの自由な学びを保証しているかなど、課題は多いかもしれません。少なくとも、点数化したり、評価をしたりしては、意味がないと思います。
     

  3. 笹村 出 より:

    教育の難しさ。
    伝えると言う事は、具体性がないと駄目だと思っています。しかもその教材には全体性が無ければ、いけない。
    それが教科なのだと思うのです。算数を教えることが、平和教育だ、と成らないといけない。
    「ひと」というそういう遠山啓氏の雑誌がありました。
    その意味で、学校教育に農業がないのはいかにも残念です。

  4. 杉山久輝 より:

    改憲と平和
    憲法改正が平和を危うくするかのような書き方ですがそうでしょうか?
    改憲派も憲法擁護派も、皆平和を望んでいます。
    ただ、平和を維持する方法が異なるだけです。
    日本国民の主権や自由や生命財産を守るために、今の憲法のままでよいのか、「議論」が必要でしょう。
    自衛のための軍事力の保持をきちんと認めることや集団的自衛権の行使を認めることなどの改正が必要です。
    きちんとした自衛力を持たない人々の世界の現実を直視すべきです。

  5. 佐々木ナオミ より:

    Unknown
    杉山様
    貴重なご意見ありがとうございます。
    そうですね。今改憲が取りざたされているときにそれについて議論することは大事だと思います。
    その前提として「皆平和を望んでいる」というところで話し合えるのは、素晴らしいことだと思います。

    ただ、私としては軍事力を持つことや集団的自衛権を認めることが平和を作るとは考えていません。逆にきちんとした自衛力をもつ国でさえ戦争の渦に巻き込まれています。アメリカの貧しい若者たちは自分たちの将来のために、軍隊へ入ることを選ばなければならない現実の中にいます。格差社会が進んでいこうとしている日本でも、近い将来同じことが起こるかもしれません。
    私は人として、そして一人の子を持つ親として、私の身近な人や子どもが、人を殺し、人に殺されることを望みません。それはきっと、性別や国、民族や人種を超えて普遍的で当たり前のことだと思います。その一点の思いだけで、人はつながりあえると信じています。平和のために誰かが銃を持つことが正しいとは思えません。

    私たちの国は戦後60年余り、日本国憲法をもって戦争によってだれ一人殺されず、誰一人殺さなかった。これはやはり世界的にも重大な事実だと思います。
    それは、私たちの国が先進国であることを抜きにはなし得なかったとも思います。日々の暮らしが豊かになること、人が人として大切にされることが、日本国憲法を幸運にも持て続けられた大きな要素であったと思います。混乱している国に必要なものはしっかりとした軍隊ではなく、人権、食糧、安全な水、環境、自治力ではないでしょうか。

    だからこそ、人権、環境、農産物、日々の暮らしを大切にしたい。苦しんでいる人がいれば、そばに行って何とかしてあげたい、自分が苦しい時には誰かに助けてもらいたい。そうした一人一人の思いが平和を作っていきます。その思いが形になるような市政を、少しずつだけれども取り組んでいきたいと考えています。

  6. 杉山久輝 より:

    ご丁寧なお返事、ありがとうございます
     佐々木議員のブログの貴重なスペースを占領させていただいて恐縮ですが、1回だけ反論させてください。
     戦後60年余、日本が平和を維持し、自由と独立、生命、財産を守ることができたのは、平和憲法のおかげではなく、アメリカの核の傘の下にいたからです。そうでなければ、冷戦時にソ連に北海道を占領されていたかも知れません。
     きちんとした自衛力を持つ国が戦争に巻き込まれた例ももちろんありますが、自衛力を持たない人々の悲劇はそれ以上です。
     西暦132年にローマ帝国にエルサレムを追われて世界中に離散し、賎民として虐待され続けたユダヤ人。
     イスラエル建国のためにそのユダヤ人に家を奪われ、郷土を追われて、テント生活を強いられたパレスチナ難民。
     イラクのフセインに生物化学兵器の実験台にされるなど世界で最も虐げられてきた民族、クルド人。
     ソ連崩壊後も独立できず、それどころか、石油パイプラインを守りたいというロシアのエゴのために、強制移住や強制労働を強いられ、軍事的弾圧に翻弄され続けるチェチェンの人々。
     平和に、普通に暮らしていただけなのに、他国の勝手な事情によって、その平和が奪われてしまったこれらの悲しい人々。
     一時的にも、他国のエゴを跳ね返すだけの自衛力があれば、未然に防げたかも知れないのに、それがないばかりに、取り返しのつかない悲劇が生まれてしまいました。これらは日本人にとっても無関係なことではありません。

     日本が軍事力を持つと自ら他国を攻撃して、平和が失われてしまうかも知れない。そんな心配をする人がいますが、なぜ、自国の軍隊を信用しないで他国の軍隊を信用するのでしょうか?
     日本は複数政党により普通選挙が行われる民主国家で、言論出版の自由もあり、シビリアンコントロールも確立されています。
     他の国、例えば中国は共産党独裁国家で言論出版の自由もありません。そして、100発以上のミサイルを日本に向けており、そのいくつかには核弾頭が積まれているとも言われています。
     その隣の独裁者の国は、日本人100人以上を拉致しました。拉致された横田さんの家族は、20年以上も悲嘆にくれた毎日を送ってきたのです。まだ母親に甘えたかったであろうめぐみさんの心情を思うと、皆、涙を禁じえません。
     平和憲法では、国民は守れません。守れると思っているのは、今の日本の平和に慣れすぎて、世界の現実から目を背ける者だけです。

     国民の人権、食糧、安全な水、環境、自治力を守るために、自衛力が必要なのです。
     世界のすべての国々が軍事力を放棄する時代が来ることを私も夢見ていますが、今は確固たる自衛力を保持しなければならない時代です。子供たちに今の幸せを与えようとするなら、日本だけが無防備な状態にはなれません。日本自らが範を垂れて軍縮することも、独裁国家が相手では現実的ではありません。まことに残念に思いますが・・・

  7. より:

    あ~あ・・・
    ホントに同じ平和を目指しながら、正反対の方向性に向かっている・・・それだから戦争はおこるし、戦争は続いていくのですね・・・同じ日本人、同じ人間でありながら、価値観が全然違うんだと、当たり前のことに気づかされました。しかし、暴力は暴力しか生まないように、自衛という大義名分を掲げた武力は戦争しか呼ばないのではないでしょうか?自衛力を持てば平和が保たれるなんて、到底思えません。それこそ利用されて、惨めに捨てられるだけではないですか?
    なんともやりきれない気持ちです。そして、首相の辞任とあっては・・・!!いったい、ど~なってるの?
    全部壊して出直す?それは小田原市も同じかな・・・

  8. 佐々木ナオミ より:

    Unknown
    なるほど、ほんとうに世界の歴史は殺戮と戦い、略奪の歴史なのかもしれないですね。

    でも私たちには、この歴史に学んできた知恵があるはずです。それは、市民自治だったり人権だったり循環型社会だったりするのかもしれません。

    お金とモノに振り回されず、お互いがお互いを支え合う仕組みが、少しずつですが、でも確実にしっかりと広がってきています。環境の問題、流通の問題、人権と差別の問題。それにはいつでも「戦争」と、それに伴う「カネ」「利権」が背景にあります。

    私たち市民がそうしたこれまでの社会の仕組みに頼らない生き方を選んでいく時に来ています。幸いにも選べる国に住む私たちがまずは選ばなければ。選ばないことは、選べない国の人たちを搾取していくことにつながり、それがまた、新しい争いを生んでしまいます。

    たとえば、今日あなたが飲んだコーヒーは南米の最低賃金以下で働く子どもが摘んだ豆からできているかもしれない。でも、あなたがもしフェアトレードコーヒーを飲んだなら、労働者の賃金は保証され、子どもたちは教育を受けたり、子どもらしい時間を持てたりします。それが有機栽培の豆なら、環境破壊を食い止め、食糧難から世界を救うかもしれない。

    「世界のすべての国々が軍事力を放棄する時代が来ることを私も夢見ていますが」

    その言葉だけで、十分ですよね。

    私が選挙に出た時、私の知人が「夢を語りたいと思った」というコメントを寄せてくれました。
    夢という言葉が、これほど力強いものなのだということを、気づかせてくれた大切な言葉です。

    不安は、人の心を小さくし、人が持つ力を弱めていきます。そして武器を取らせるのです。

    夢を語っていきましょう。ぜひ。

  9. 佐々木 ナオミ より:

    Unknown
    素晴らしい文を知人のブログから見つけました。
    全くの同感です。

    以下転載です。

    ◆デニスクシニッチ下院議員の演説(訳・森田玄)◆

     私が描くアメリカとは、単独行動主義の代わりに世界調和を求める国であります。
     最初に攻撃するのではなく、最初に手を差し伸べる国。
     世界のひとびとの重荷を軽くするために努力する国。
     援助を乞われたら、爆弾ではなくパンを、ミサイルではなく医療援助を、
     核物質ではなく食料を分配するのがアメリカなのです。

     アメリカには世界での役割があります。
     それは世界の国々と協力して世界各国の平和を達成することです。
     それは、不拡散条約の約束をもとに戻し、率先して核兵器全廃に向うことです。
     国際秩序を確保する手助けをすること。

     国際条約を補強し、順守すること。
     生物化学兵器と地雷の管理と最終的には撤廃を保証すること。
     炭素排出削減のため世界各国と協力して地球の気候を保護することです。

     アメリカは世界を守る助けをできます。世界を救う助けができます。
     しかし、世界を管理することはできないし、私たちもそれを望むべきではありません。

     しかし私たちの政府はアメリカのパワーを支配するために使おうとしています。

     その国家安全保障の方針では、アメリカは世界のどこでも好きに攻撃でき、
     最初に核兵器を使えるとしています。
     
     我が国は今やイラクへの戦争を国をあげて行うとしています。
     イラクはアメリカに対していかなる敵対行為をしていません。

     イラクは9月11日のテロ攻撃には責任がありません。
     9月11日テロ攻撃でイラクとアルカイダを結び付ける信用できる証拠は何もありません。
     炭疽菌事件にイラクは責任がありません。

     イラクが使用可能な大量破壊兵器を保有しているという証拠を国連は未だ確認していません。 イラクがアメリカを攻撃できる能力があるという証拠は何もありません。

     CIAによれば、イラクはアメリカを攻撃する意志はないが、 
     もし攻撃されれば反撃すると言っています。
     
     それでは何故、我が国は30万人もの我が若い男女をバグダッドや
     バスラの市街戦に送り込もうとしているのでしょうか。

     なぜ我が国は、イラク破壊のために2000億ドル以上の、
     汗水たらして私たちが稼いだ税金を注ぎ込もうとしているのでしょう。

     なぜ我が国は、歴史上かつてないほど強力な軍事力でイラク国民を攻撃し、
     彼らの家やビルを破壊し、水道や送電施設を壊滅し、
     彼らの食料や医療品の補給を絶とうとしているのでしょう。
     
     その答えは、石油経済、兵器輸出の利益、歪んだ帝国建設主義を抜きには考えられません。
     
     イラクとの戦争は間違っています。しかしもし、イラクとの戦争に突入すれば、
     私たちはこの国で平和の種を蒔き始めなければなりません。

     私たちは立ち上がり、声を上げ、仲間をつくり、デモに参加し、戦争反対を要求し、
     戦争を肯定する政府を止めさせるよう求めなければいけません。
     
     私たちがこの戦争に反対することは緊急な問題です。

     それは国家の優先事項を無視するでしょう。
     社会保障制度を危うくするでしょう。医療制度を危うくするでしょう。
     老人への医療補助を危うくするでしょう。

     アメリカがすべての人に仕事や健康医療補助、教育を与えることを危うくするでしょう。
     
     戦争について政府に批判的なことは非愛国的だと信じる人たちがいます。
     その人たちは政治的には経済問題を論じた方が利口だと思っています。

     しかし、戦争を国家予算から分けて、戦争を経済から分けて、
     戦争を国民の生活必需品を供給する能力と分けて考えられるでしょうか。
     
     私たちは質問する必要があります:
      イラクの無実の人々の健康と生活を破壊するのに何千億ドルも使うのに、
      なぜアメリカ国民全員に健康医療補助をできないのか。

      アメリカはサダムフセインを引きずり下ろすのに何千億ドルも使うのに、
      なぜ自分の国民の退職保険を保護する金がないのか。
     
      イラクのユ-フラテス川の橋を爆破する金をアメリカにはあるのに、
      なぜここクリーブランドのクヤホガ川に橋を建設する金がないのか。
     
     アメリカがとるべき道は繁栄を導くような平和です。
     それは経済システムが健全で、基本的な生活環境や人間の価値を保障するような
     平和構造を理解することです。
     
     これが平和省の夢です。
     それによって、アメリカが私たちの社会で非暴力を
     基本的原則にする第一歩を歩むことができるのです。

     マーティン・ルーサー・キング牧師の仕事を現実にすることができるのです。
     そして戦争自体を過去の物にできるのです。
     
     この平和希求と平和創造の倫理によって私たちは宇宙から兵器を降ろし
     地球に新しい可能性溢れる天国を創造する仕事を始められるのです。

     平和と繁栄が新生アメリカの2つの柱になるべきです。
     それが国家の目的として我が国民の経済と社会の安定をもたらし、
     そして他の国々の経済と社会の発展をもたらすのです。

     この国民の目的を確認することはフランクリン・ルーズベルトとニュー・ディール、
     リンドン・ジョンソンと偉大なる社会、ジョン・F・ケネディとニュー・フロンティアの夢でした。

     これは今後も私たちの夢であり続けるでしょう。
     そして、どのような暗いときになっても、私たちはアメリカの目的の灯りを
     さらに高く掲げ続けるべきです。
     それがワシントンやジェファーソン、アダムズからリンカーンを経て
     今日までの時代を通して訴えている私たちの使命なのです。

     私たち国民は、9月11日の暗黒日やそれに対する政府の対策にもかかわらず、
     常により高い使命感を持って来ました。

     それは危機の時も平和の時も、民主主義への探究と、
     自由と公正への探究を維持する使命感です。
     そのより高い使命感を私たちは感じることができます。

     そのより高い使命感が私たちの遺産です。
     フランシス・スコット・キーの言葉がいまだに響いています。
     『自由の土地と勇気あるものたちの家の上に、星条旗は未だはためいているだろうか?』
     
     この中で彼は自由と勇気との結びつきを祝福しています。
     民主主義の中に生きるには勇気が必要だと。
     テロリストに立ち向かい、基本的自由を守るには勇気が必要です。

     世界の兵器廃絶に向って進むには勇気が必要です。
     一方でそれが曲げられ破壊をもたらしています。
     
     世界の独裁者に対して、彼らを爆弾で黙らせたいという
     誘惑を抑えて交渉するには忍耐が必要です。

     大きな力を持ちながら世界でそれを優しく使うには知恵が必要です。

     そして生存を賭けて、厳しい生活環境や抑圧的な政府のもとで
     自己のつましい生活を送ろうとしている世界の人々の苦しい状況を理解するには、
     思いやりが必要です。
     
     みなさん。これはあなたの政府です。
     その運命をどのように描くのかあなた方には発言する権利があります。
     その権利は私たちの独立宣言から導かれています。

     それは自己統治を基本的な権利としました。
     政府はワシントンDCだけで起きるのではありません。
     それは何千という市、町、村で起きるプロセスの結果です。

     それはまた、私たちの心に起きるプロセスでもあり、
     それが国土への愛やお互いの愛によって生まれるのです。

     私がこれらの希望や夢を遂行できるのはみなさんの愛からです。
     それを勇気を持って将来に向けてやっていくつもりです。
     ありがとうございました。

    ________________________________

    以上、★グローバル・ピース・キャンペーン★
    OPEN-J BOOMERANG 283【平和省の夢】(2003.1.14付)より転載しました。

  10. 飛び入り より:

    どうしてこれが自衛力の廃棄につながるのですか?
     デニスクシニッチ下院議員の演説が、どうして自衛力の放棄の主張に結びつくのか、理解できません。イラクへの攻撃を非難しているのであって、アメリカの自衛力の放棄なんてどこにも書いてありません。

     曰く
    「不拡散条約の約束をもとに戻し、率先して核兵器全廃に向うことです。
     国際秩序を確保する手助けをすること。

     国際条約を補強し、順守すること。
     生物化学兵器と地雷の管理と最終的には撤廃を保証すること。」

     つまり、核兵器も生物化学兵器も、将来は全廃、撤廃を目指すけれども、当面は保持し、管理するということです。
     これは、日本の改憲論者の、「当面は自衛力が必要」という主張とおなじです。

     アメリカのイラク攻撃の理由も、イラクが自衛のための軍事力を持っているからではなく、自衛力を超える大量破壊兵器を持ったからです。
     世界は、国家として自衛のための軍事力を持つことは当然のことと考えています。デニスクシニッチ下院議員もそれを前提に演説しているのです。
     繰り返しになりますが、この演説は、イラク攻撃について批判しているのであって、アメリカの自衛力保持については何も批判していません。
     ましてや、アメリカは今すぐ軍事力を放棄すべきだ、なんてことはどこにも書いてありません。

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