子どもが病気になるということ
上の娘が風邪をひいて熱が39度も出た。痩せている割にはあまり病気にならない子どもなのでとても珍しい。こういう話をすると、「インフルエンザ?」「ノロウイルス?」と聞かれたりするが、はっきり言えば、わからない。つまり病院に行かないからわからないんである。
私は基本的には病院には行かないし、薬もめったに飲まない。子どもの予防注射も必要と思うものを選んでしている。病気というのは必要があるからなるのだと思っているし、薬を使うより、まずはしっかりと休養をとるべきなんではないかと思っている。特に子どもは風邪をひいたりしながら少づつ免疫力がつくように思う。いままでも子どもが風邪で熱を出しても病院に行かないけれど、熱が出ても大抵1日で下がってしまう。
もちろん病院は必要だし、とても重い病気の子どもさんもいることなのでこの世から薬がなくなればいいと思っているわけではない。下の子はぜんそく持ちなのでいざという時には必要だ。ただ、熱が出ただけで病院に行くとか、ちょっと鼻水が出たら薬を飲むとか、よくわからないけれど片っ端から予防接種を打つ、というのはどうかと思う。
私は山田真さんの「小児科の本」をよく参考にしています。また、親としての勘を大事にするようにしています。「熱は高いけど、食べ物が食べれているから大丈夫」とか、「下痢をしているけれど、水分が取れるから大丈夫」といった、ごく当たり前のこと。こういうことは人間の持っている自然治癒力を信じる力に自信がないとできないことで、簡単にいえば、自分の体ときちんと向き合って過ごすということを日ごろやっていると、そういう力は鍛えられていくように思います。
体調が悪い時、どういうわけで悪いのか、どこがいつも違うのか、どうすれば楽になるのかを自分が会得していること。体調が悪くても便が出ればもうすぐ良くなるな、とか、首が冷えているから温めようとか、とにかく寝なくちゃとか。そういう経験が子どもが病気の時にも活かされていくのだと思う。いつも子どもを見ているのは親。「お母さんが子どものことは一番分かっているんだ」とは私が尊敬する毛利子来さん言葉だが、人間も生き物なのです。そうした生き物としてのカンが、薬に頼りすぎるとだんだんと働かなくなってしまうと思います。
去年おたふく風邪になったときは、結局痛み止めの薬を飲んでもあんまり痛みは軽くならず、東条百合子先生の教えを守って、里芋の粉を水で延ばしたものをシップ代わりにしてほっぺにはっていたらドンドン楽になりました。
医師不足も問題ですが、それは緊急の場合や重症の場合に対応する必要があるからで、そうでない場合には、もう少し医療に頼らない方法も必要だと思います。
さて予防接種については賛否両論、ほんとうに難しい問題ですが、「予防接種を打たない人は(他人にうつすから)犯罪者だ」というような脅迫めいたことで、予防接種を強要するのは良くないと思います。予防接種は、うつりたくない人が受けて予防すればよいことで、接種したのに予防できないなら、それはワクチンが完ぺきではない、ということです。
そう、ワクチンは完ぺきではありません。だからこそ、もっと慎重になるべきではと思います。
“子どもが病気になるということ”へ3件のコメント
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賛成ですが・・・
基本的に賛成です。
が、一言。
予防接種をしなくても大丈夫だと思いますが、それは多くの子が予防接種をして、病気が流行していないから、ということもあると思います。
子供の死亡率が下がったのが、栄養状態や衛生状態、住宅環境の向上だけではないと思います。
多くの人が予防接種をしてその病気に対する抵抗力をつけて流行することがなくなったことが最も大きな理由であると思います。
他の方が予防接種に協力した結果死亡率が減った、ということに少しは思いをはせていただきたいです。そして、不運にも体に合わず、思いもよらぬ結果がもたらされてしまった子供もいることをにもです。
もっと言わせていただければ、佐々木議員のこの考え方には、自分の子供さえよければというエゴも少し感じます。ご理解されているようですが。
Unknown
K.K様
そうですね。私のエゴかもしれませんね。
予防注射の副反応(副作用)がこわいのです。
予防注射を受けるときに体調がいいことはもちろんですが、どういうときにどういう状態なら副反応が出るのか、どういう体質なら出るのか、副反応の程度は軽いのか重いのか、1週間以内のなのか、それとも1か月以上も先なのか。接種後の経過をどこまでメモすればいいのか。わからないことだらけです。
そしてもし、重症になってしまったら、予防接種との因果関係を証明するのにどれだけの労力を要するのか、保障はきちんと受けられるのか。いつか治るのか。それとも一生重症のままなのか。
こういうことのリスクと、病気になることのリスクを自分の生活に照らし合わせて判断するしかないと思います。もしかしたら病気になり、その病気のために自分の子どもが死ぬかもしれない。子どもが病気になって丁寧な看病ができる環境があるか。
病気のリスクと副反応のリスクを含めてどれを打つか、または打たないか、それぞれ親が判断するしかないでしょう。そういう意味で「慎重になるべき」だと思います。私も悩みながらもいくつかの予防接種は受けさせました。
「みんなが打つから」「ほかの子どもに迷惑をかけるから」そのために、自分の子どもの健康を犠牲にしてもいいのか。そこに悩む親のエゴが悪いことでしょうか?
だれでも、病気になるのは嫌です。この世から病気がなくなれば、どんなに良いことしょう。しかし、この世から病気をなくすことはできません。暮らしと病気はいつでも隣り合わせです。
世の中には治療法もない病気がたくさんあり、また新しい恐ろしい病気もたくさん出てきています。予防接種を使って病気を根絶する、ということが、本当によいことなのか。もしかしたらその根絶によって自然界のバランスが崩れる結果になるかもしれません。小さな虫でさえ、絶滅すれば自然界のバランスは大きく崩れるといいます。ましてや、目に見えないウイルスや細菌の世界は、どうなのでしょうか。これをコントロールできるというのは、人間のエゴのように感じます。
それにしてもなぜ予防接種は「副反応」というのでしょうか?「副作用」とどう違うのか。よくわからないですね。
遅ればせながら…
☆友達から貰った情報の一部転載です。
予防接種について判断の基本基準は下記を参考にします。
個人が、予防接種を受けるかどうかは、
「自然感染率 × 自然感染時の重篤・死亡率」が「予防接種による重篤・死亡率」より大きいかどうか
で判断するのが合理的。
例えば、予防接種での重篤・死亡率が1/100万人に対して自然にかかる重篤・死亡率が1/10人でも、自然感染率が1/100万人であれば、
受けない場合のリスク1/1000万なので予防接種しないを選択することになる。
つまり、10人に1人は死んだり障害が残る怖い病気でも自然感染率が100万人に1人であれば、100万人に1人トラブルのある注射のほうが10倍危険になる。
参考図書:「はじめてであう小児科の本」 「予防接種へ行く前に―受けるこどもの側にたって」 他
また、情報を提供してくれた方から以下のメモが付け加えられていました。
ご参考に。
「過酷な医学的実験は、子供、それも多くは身体や精神障害のある子供に、
そして実験用に売られた堕胎児に行われている。それを止めさせるのは、我々の緊急の課題である。」
ピエトロ・クローチェ医学博士
「ワクチンは次のものから作られる。
感染した子供の粘液(百日咳)。チフス患者の便(チフス)。発酵したヒヨコの胎児。
そして最近までポリオのワクチンは発病している猿の肝臓から抽出していて、
白血病、脳炎、MS(多発性硬化症)疾患の原因となっていた。
そして今となっては、私は天然痘予防接種説が、エイズの爆発的繁殖を説明するものと思っている。」
世界保健機関顧問、『タイムズ』より
その他の医薬品と同じく、ワクチンも生体解剖実験所で動物に誤った実験をしている。
動物実験から、その薬品が人間にどう作用するかを予見するのは不可能である。
「英国だけでも何百いや何千かの健康な幼児が無駄に脳に回復不能の障害をこうむり、
その結果、彼らとその両親の生涯が破壊されてしまったのは、疑いもないことである。」
ゴードン・スチュワート、グラスゴー大学教授
「流感、はしか、おたふくかぜ、小児麻痺などの予防接種設計は、
人間のRNAが請うウィルス性を形成するようになっている。それはリューマチ性神経痛、多発性硬化症、
紅斑性狼瘡、パーキンソン病やがんなどの種々の疾病の原因となっている。」
ロバート・シンプソン医師
「予防接種は必要でも有益でもなく、予防もしない。不慮の災害は、
エイズよりも予防接種によるものの方が二倍も多い。」
ゲルハルト・ブッファヴァルト医学博士
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「なぜいろいろな種を使ってがんの識別を延々と行おうとしているのか、理解に苦しむ。
薬物の代謝に相違があり、動物の実験結果を人間にあてはめて推測するのは難しいのみならず、
新しい治療剤開発を著しく妨げる。」
『Journal of the American Association For Science and Public Policy』
「『がん研究についての意見』。科学文献の報告から明らかなのは、がんの七五パーセントから
八五パーセントは予防が可能であるということだ。がんはもはやたんに医療問題ではなく、
社会経済的問題であり、発がん物質の多くは現在のテクノロジ―時代の産物である。
発がん物質は、食べ物の中に、薬の中に、そして吸うタバコの中にある。
我々が治療より予防に目を向けない限り、がんの発病率が下降しないことは明らかである。」
英国動物援護会誌 『Outrage』
個人的な意見として・・・
千分の一のリスクを回避するために百分の一のリスクを負う事もまたどうかと思いますね;
どちらにせよ予測し得ないことですから・・・確率論で天秤にかけるのも価値基準のひとつかとは思います。
安心のための手段としての方法論に過ぎません。
副作用と副反応の違いは直接薬による化学的な作用か免疫系による作用かによって区別されているようですね。