3月議会、報告その1
長かった3月議会が25日で終わりました。
27年3月の補正予算と、28年度の当初予算の審議のための予算委委員会が設置されました。
ここ数年、予算委員会は全議員が参加して3つの分科会で議論をする「分科会方式」で行われていましたが、全体的な予算が見れないなどの理由で、今回から、各会派からの選抜された委員による「選抜方式」になりました。各会派から、ということで、無会派のわたしは委員にはなれず、予算委員会そのものに参加できない状況でした。
予算委員会の前には各会派代表者による「代表質問」があり、そこで、市長の施政方針や、当初予算全体の方向性に対する質疑が行われました。無会派のわたしは「個人質問」という形で質問に立ちました。
今回の予算は市長選挙まえということで、選挙戦の結果によっては大幅な事業の転換も予想され るために、これまでなら「骨格予算」という最低限の予算編成であることが多いのですが、今回は過去最高(一般会計、特別会計あわせて)の1602億円の予算規模。施政方針では「我が国の少子高齢化は急速に進行しており、私たちは現代においていずれの先進国も経験したことのない未曾有の局面に直面しております。」と言っておきながら、その緊張感が感じられないような予算編成と感じました。
質疑では、人口減と少子高齢化が進むなかで、今後の小田原が進むべきは、「住みやすいまち」への取り組みに財源を集中し、子育て世代が選んで住みたくなるまちになることが、活性化への近道ではないか、という意見を述べた上で、
では実際はどうか?
昨年9月に働くママ達から、小田原市議会に「送迎保育ステーション」の設置を求める陳情書が出され、採択されました。「保育園落ちた、日本死ね」の匿名ブログが話題となっていますが、改めて、待機児童の問題は、それにより仕事を辞めざるを得ない、という深刻な話であり、一人の女性の人生設計を大きく変えてしまうほどの問題なのだと、多くの国民が気が付かされたと思います。その状況は小田原市でも例外でない、というママ達の悲痛な叫びがが、「送迎保育ステーションの陳情」という形で現れてきたのだと理解しています。
送迎保育ステーションには、ニーズ調査の結果将来的な利用も含めて25%のニーズがあるけれども、病後児保育のニーズなどの方が高いことや、送迎される子ども達への負担などの課題もあることから、今後の検討となっています。わたしも、決して送迎保育ステーションがベストだとは思っていませんし、本来なら、駅前にきちんと保育園を作るべきですが、それまでの代替措置として、ではなにを小田原市は行うのでしょうか?
送迎保育ステーションは他市の状況などを見ると、一箇所1500万円ほどで整備できます。
一方で、城山陸上競技場のリニューアルのうち、ラグビー日本代表の合宿に伴う走り幅跳びレーンの移設や本芝の整備には、ポンと1億5000万円出すし、本芝整備の維持管理のためにあらたに年間2~3千万円かかると言われています。
市長は「現下の財政状況が厳しいなかで」送迎保育ステーションはすぐにはできない、と発言しています。財政状況が厳しいなかで優先すべきは、どう考えても保育園ではないのか。このままでは、子育て世代に「選んで住んでもらう」どころか、不信感さえ抱きかねません。
市長は「どちらがということではない」と答弁していましたが、予算がついていない以上、言い訳に過ぎません。一刻も早く、「子育て世代が選んで住んでくれるまち」へのシフトをすべきです。
自然豊かで、お金を使わなくても、海、山、川と子どもと目一杯遊べるフィールド、お米も、野菜も、果物も、魚介も新鮮で美味しいものが手に入る、温泉も近いし、都心に近くて便利。
どこを探しても、これ以上の好条件の場所って、ないと思うのに、選んで住んでもらえないなんて、あー!もったいない!
と叫びたくなる個人質問でした。
“3月議会、報告その1”へ2件のコメント
この投稿はコメントできません。
個人的なことで恐縮です。
小田原は首都圏では、暮らしたい最高の都市です。
私はこの都市になんの縁もない東京人でした。自然環境、交通(鉄道・道路)・歴史性など様々に検討して残った都市が秩父市と小田原市でした。最終決断した要因はロマンスカーの発着頻度でした。
1992年8月31日に中町のセントラルハイツの住戸を2,700万円で取得して、9月からリノベーション工事に入りました。工事費用は1,000万円くらいでした。
そして、12月15日に転居してまいりました。引越し荷物を収容したその夕刻、至近にあった寿司屋(まる寿司)で夕食。この寿司屋の主人が最初の友人、24年間付き合っています。
私は、小田原は素晴らしい都市だと固く信じています。
賢い都市行政さえ実現できたらと、2004年から市行政、施策などに様々に発言してきましたが、小沢市政、加藤市政のこの24年間、何んとかなると踏ん張ってきました。
本当に、なんとかして欲しい。
議会はきちんと事案を理解して判断して欲しい。
(長くなってごめんなさい)
わたしは、小田原に生まれ育ち、子どものころは都会にあこがれ、この町をはやく出ていきたいと思ってました。
でも結婚して、子どもが生まれて、あらためて、自分の生まれ育ったまちがなんて豊かで、なんて素敵なんだろうと。ここで子育てができることは幸せなことだし、都会で子育てはできないな、とつくづく思いました。
それでも、子育てがしやすい町かと言われればそんなことはなく、もっと子どもや母親に優しい町になったら、もっとたくさんの人がこの町を好きになってくれるのに、とおもって、議員になりました。
ソフト面(子どもの人権や女性の権利、ジェンダー問題など)でも、ハード面(公園整備、子育て支援、待機児童問題)でも、改善して良くなるところ、たくさんあるのに、財源はいつでも違うところに当てられる現状です。
これからも、声を上げ続けますよ。