道徳教育、現場の先生は大変だ〜!〜6月議会中の雑感〜

6月議会一般質問で、道徳教育についての議論がありました。
が、うーん、イマイチ噛み合ってないなあ。答える教育長もかなり苦しい答弁が続きました。

「思想性を入れないでほしい」という要望も出たが、私もまったく同感だが、そもそも、道徳を教科として捉えることは、価値観の固定化を避けて通れない、道徳そのものが思想性を色濃く内包してしまっている教科であるのだから、「思想性を入れない」授業をするには、教師側の工夫がかなり必要になる。現場の先生方の力量が問われることになるとの指摘はまったく同感です。

たとえば、話題になっている道徳教材の「お母さんのせいきゅう書」。教科書の中では「お母さんの家事はお金では換算できないもの(愛情だから??)」みたいな話に帰結してるが、それが正解であるとは限らない。多様なそれぞれの価値をどう評価するのだろうか?
すでに評価の文例なるものが出回っているとのこと。他の教科だって、テストの解答が「これ合ってるでしょ?」と言える場合でも、テストについてる「解答」以外バツにするような事例をよく聞くのに、今の教育現場の状況では文例のまんま、パターン化された評価に落ち着いていかざるを得ないのではないだろうか?

現教育長はとっても素敵な人なので、「それは絶対あってはならない」とおっしゃってますが、それはあまりにもハードル高い。

すべての先生が、人間的に素晴らしい方ばかりとは限らないし、子どもたちへの評価の全部、教育委員会で確認するなんてことは不可能。評価について不満がある場合は、どう対応するのだろうか?

そもそも、大津市のいじめ問題から半ば無理やり教科化された道徳教育。大津市のいじめ問題は、子どもたちの道徳心が薄いからではなく、問題にきちんと向き合わずに見て見ぬ振りをした教育現場と教育委員会の問題だったはず。であるなら、導入すべきは道徳心ではなくて、子どもひとりひとりの気持ちに丁寧に寄り添いえるような学校現場のゆとりであるべきです。
道徳の教科化で、現場にさらなる負担がかかるのなら、本末転倒ではないだろうか。
ほんと、いらないなあ、道徳教育。

道徳教育の課題を取り上げたクローズアップ現代(リンク)
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4120/