南相馬市へ支援に行ってきました
13日の午後から、FROMあしがらの後発隊として小田原を出発し、
夜10時に南相馬市にあるポニー牧場へ合流し、2日間ボランティア活動をしてまいりました。
15日の夜南相馬を出発し、16日の早朝、小田原へ到着しました。
とにかく、大きな事故もなく、FROMあしがらのメンバー全員が無事に帰ってまいりました。
今回の活動に関して、多くの方が参加、支援をしていただき、改めて、お礼を申し上げたいと思います。
私たちの予想をはるかに上回る大きな活動となることができ、感謝です。
さて、2日間、私は南相馬にあるお宅の支援に参加しました。
朝、ボランティアセンターで登録を済ませ、支援するお宅にと伺います。
現場が近づいてくると、少しずつ災害の跡が表れてきます。すべてが流されてしまった田んぼの中に、
車がひっくり返り、家の屋根の瓦が落ちた部分はブルーシートで補強をしてあります。
伺ったお家は家の中のものは柱を残してなくなり、床下は土砂で埋め尽くされていました。
また、道の側溝も土砂で埋まり、裏にあったビニールハウスはひしゃげています。
私たちのチームは、家主さんの依頼で床下や側溝の土砂を撤去したり、洪水によって屋内から投げ出され、
濡れて壊れてしまった家財道具などの処分をするために、種類別に分別したりしました。
とにかく、被災状況を目の当たりにすると、これをどうにかできるのかなあという果てしない気持ちになりました。
作業をしながらも、賞状やら写真やら、それまでの暮らしをしのばせる品々が、泥まみれになって出てきます。
自分がやっと手にした持ち物、ずっと使ってきた持ち物達が、大量に廃棄物となってしまうこと。
考えただけでも胃が痛くなるような途方に暮れる話です。
2日間みんなで力を合わせて活動し、なんとか、元の暮らしの片鱗のようなものが見えてきました。
汗をかいた後お昼ごはんを食べると、心地よい風が吹いてきて、緑に囲まれ、海も近くて、
水も冷たく清らかで、本当にいいところだなと思いました。
お家の方とも少しお話ができて、「いいところですね」と声をかけると
「一番いいところだと思っていましたけど、一番ひどいところになってしまいました」とおっしゃいました。
「また、きっといいところになりますよ」と言うと「原発のことがあるからねえ」と言葉を濁されました。
地域の方たちはマスクをしたりしていないので、私もつい放射能のことを忘れて、休憩時にはマスクも
ゴーグルも外して、涼しい風に身体を癒されていましたが、放射能の課題は、今後もまだまだ被災した地を
苦しめていくことになるのだなと、何とも言えない気持ちになりました。
改めて、原発とは、本当に罪深いものだと思います。
その罪を、いったいどういう形で償っていくのか、補償とか責任とか、そういうことだけでは片付かない思い、
日々の当たり前の暮らしが分断されていくことへの怒りや悲しみや自責のような感情が湧いてきます。
ちょうど小田原でお茶の生葉からセシウムが検出された直後。
この現実とこれから自分の暮らす街でも真正面から向き合っていくことになります。
家主さんは、休憩時間にはお茶やジュースを用意してくださいました。
私たちはすべて自前で準備をしていくことを原則としているので、その必要はないのですが、
やはりボランティアを頼む側としてもいろいろと気を使われているようでした。
帰りは少し遠回りをして海の近くへ行ってみると、やはりそこここに船が打ち上げられていました。
震災から2カ月。まだまだ先は長そうです。
さて、この2日間、楽しい出来事もありました。
先発隊が支援に入った相馬神社では、被災した馬を保護していました。
その中に、生まれたばかりの山羊の兄弟がいて、真っ白でとってもかわいい!
私が見に行ったときには、先発隊が作った小屋の中で寄り添っていました。
また、ネコ達も集まっていて、やけに人懐っこいので、とてもかわいかったです。
相馬は馬追いの町です。相馬藩の城址の中には馬場もあり、普段は乗馬体験などもできるようです。
神社の馬はすでに避難したのですが、被災した馬の保護の依頼があるとのことでした。
町のあらゆるところに馬の絵が、また、神社の神殿にも馬の装飾が施されていました。
避難してきた動物達に会いに、子どもたちも訪れるようになったそうです。
被災地とはいえ、人々が日々の暮らしを取り戻そうとするその歩みに、
こちらがたくさんはげまされた2日間でした。
支援はまだまだ長期戦です。
また是非、機会があれば一ボランティアとして、支援に伺いたいと思います。
そして、元の日常が戻った相馬へ訪れることができる日が、一日でも早く来るようにと願っています。
FROMあしがらの活動の詳細はFROMあしがらのHPをご覧ください。