おだわらっ子の約束CD化??
神奈川新聞を見てびっくりしました。
例の「おだわらっ子の約束」がCDになったとか。
ミカンの花咲く丘のメロディーに載せて歌うとか。
おだわらっ子の約束は、私が知る限りでは子育てママには大変評判が悪い。
余計なお世話。こんな基本的なことも小田原の子供は出来ていないと宣伝しているようなものだ、「早寝早起き朝ごはん」が出来ないからって悪い子だとは限らない。出来ているからと言って、よい子だとも限らない。教育勅語みたいで気持ち悪い、そんな予算があるのなら、ボロい学校をなんとかして欲しい、などなど、ご意見は多様です。
そもそも「決めた約束守りましょう」と言っても、約束って、双方が納得して決めることであって、「この約束を私は守ります」と納得して決めた子どもがどれだけいるのでしょうか?少なくとも、うちの子供はした覚えはない。
現代の子供たちを取り巻く様々な問題を、「これさえやれば直る!」というのなら、誰も苦労はしない。問題はそんなに単純でないはずです。しかしこうして単純化してしまうと、とたんに思考が停止してしまう、そこが怖いと私は思います。
例えば、挨拶一つとっても、出来る出来ないだけで判断しないでもらいたい。
我が家の娘は、親は全くしつけも何もしていないけれど、本当に挨拶のよくできる子で、どこへ行ってもほめられてました。でもそれって、人との関係性がよくわからない年齢だからで、知らない人でもだれかれ構わず挨拶してたし、動物やモノにも、おんなじように挨拶してました。
それで、お年頃となった今は、全く挨拶できなくなりました。
本人に聞くと、どのタイミングで挨拶したらいいのかわからない、挨拶しても聞いてくれないとイヤだし、と言います。
おお!自我の目覚めじゃないか!
思春期って、そういうもんだと思うんですよね。
思い起こしてみれば、自分も中高生の時はそうだった。
挨拶して、シカトされたらやだなとか、挨拶するほど仲良かったっけ?みたいなことをうじうじと考えているうちに通り過ぎる。それが青春ってもんでしょう。
ちなみに、吞気な小1の弟は、大きな声で挨拶しまくってます。
我が家ではすでにというかやはりと言うか、すっかりパロディー化していて、
「どんな命も大切に、でもゴキブリは叩く」とか「ありがとう、ごめんなさいを言います、でも、いいたくないときもある」とか。
戦時中に、「贅沢は敵だ!」に「す」を落書きしたように、標語はそのうち形骸化していくものだし、もし形骸化しないのであれば、それはそれで問題だと、私は思います。
おだわらっ子の約束、あってもいいけど、CD化まではちょっとやりすぎだと思います。
“おだわらっ子の約束CD化??”へ4件のコメント
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約束?拘束?
まったく同感。思考停止奨励CDですね。愚かな勘違いと言うより、恐ろしい洗脳ですよね。教育委員会は目を覚まして欲しい。
Unknown
軍国教育の反省を、全くしていないこの国。
それとも、これも格差が広がっていく中での右傾化の象徴でしょうか?
すでに戦時中と、どなたかが言ってましたね。
こうしたことに鈍感になっていくこと。
まさに「茶色の朝」ですね。
私も約束した覚えはありません!
いや、ホントに最悪な表現だし、日本語としては教育勅語より響かない言葉。あの、看板といい、のぼりといい、美しくないし、恥ずかしいので、すぐに撤去してほしいです。
そもそも誰が言い出したの??
教えていただきたいです。
小田原市立小学校に子どもを通わせていますが、教室にもでかでかと貼ってあります。息子が、おだわらっ子の約束が書かれたプリントを捨てたら、先生にえらく怒られたそうです。いらないっての!!
小田原の未来を担う子ども達が、こんな標語通りになっちゃったら、世も末ですね。
Unknown
そもそもは、「静かなる教育議論」という、市民が今日に対する意見をはがきなどに書くというのが、5年位前にありました。
その中で、特に多かったご意見を集約したようです。
その意見のすべてを見ましたが、なんというか、子供とその親に対する苦言がとても多い。ただ、少数ですが、きちんと子供や親が今おかれている現状をみて、教育制度にたいするご意見もあったのですが、そういうのはあまり取り上げられないわけです。
もちろん、問題はあります。でも、それを解決するためには、その背景にあるものをきちんと捉えていきたいと私は思います。
なぜ、給食費を滞納するのか。
なぜ、子どもを連れて夜中にゲームセンターに行くのか。
なぜ、携帯を学校に持ち込むのか。
なぜ、不登校やいじめは多いのか。
なぜ、子ども達は生きる力を失ってしまったのか。
現代ほど、子どもが子供の時間を過ごせず、大人が「親」と言う役割を押し付けられ、子育てしにくい環境におかれている時代はないと私は思います。
私達は、親になるために生まれたのでもないし、子どもたちは、大人の都合のよい存在として生きているわけではありません。
「親が悪いから」「今の子供は恵まれているから」
そういうことだけで、簡単に教育の問題を片付けてしまうことに、怒りを覚えます。