片浦中学と泉中学

 先日の厚生文教委員会で、片浦中学が22年度で閉校する件と、泉中学に生徒指導員が配置されるという報告がありました。

 片浦中学は生徒数下減り、平成22年度からは城山中学へ学区を変更する方針を教育委員会が示しました。今後は、学区審議会が開催され決定がされていきます。資料には、片浦地区のみなさんによる提言書がついており、これを読むと、地域の方が片浦中学にとても愛着を持っていること、できれば存続していきたいが、子どもたちの幸せを考えれば、やむを得ないという状況に、地域の皆さんが複雑な思いで、決断をしたことが伝わってきました。今年の中学1年生は2人。来年度は18人の予定だけれども、人数の少なさから部活動のことや授業によっては支障が出てくることなども考えられます。また、中学生の時期に、多様な人間関係が築けないことも不安だということでした。一方で、少人数だからこそのメリット、問題行動がほとんどない、生徒同士も仲が良い、行事などにも全生徒が関わるために、一人ひとりを生かした自主性を重んじた教育がされているなども提言書の中にはありました。
気になるのは交通費の面ですが、この件については交通費の支援はしていくとのこと。現状でも、久野地区などで、学区にいながらバス通学を余儀なくされている地域のお子さんもいるので、そこにも今後は支援をしていくとのことでした。

 一方、泉中学は、問題行動のある生徒に対し(つまり、荒れているんですね)「生徒指導員」を2名配置することになりました。1名は教員免許を持った方で問題が生じた場合、学年主任の先生が対処をし、その先生の代わりに授業を受け持つ、もう一人の方は生徒対応のスペシャリストだということでした。
 
 今回の泉中学の場合は緊急を要するほど大変な状況だというので、仕方がないとしても、こうした事態に安易に非常勤職員を増やすということに疑問を感じます。私は、根本的に悪い子どもはいないと思っていますし、おそらく、どの中学校でも荒れている状態は多かれ少なかれあるものです。私が中学の時もありました。子どもたちからはいろいろと情報も入ってきます。

 荒れた状態を何とか抑えるのではなく、現状の学校制度や教師と生徒の信頼関係の築き方などの「なせ荒れるのか」という根本的な問題が、置き去りになってはならないと思います。

この2つの正反対とも思える事例を考えれば、とにかく、少人数学級にして、中学生こそ気持ちに寄り添う取り組みをしたほうが話は早いのではないか、と思います。

 ところで、「生徒指導のスペシャリスト」ってどんな人でしょ。何度か質問しましたが、なかなかはっきりとした答えは返ってきませんでした。退職警官とか、警備会社社員とかだと困るんだけどなー。

片浦中学と泉中学”へ9件のコメント

  1. おしりえくぼ より:

    Unknown
    片浦の件は複雑な気持ちですが、残念…という感じですね。まぁ、執着を捨てた時に見つかる新しい世界も有りますから、結果片浦地域の未来に反映されればいいですね。

    そして、泉中…学区だけにこれまた複雑な思い…というか我家が越してくるずーーーーっと前から泉中は「荒れている」って事でしたよね。

    でも、今は中学のことは気にしていられないんです。娘のクラスが大変なことになっているので…。サポートの先生も複数、ボランティア(クラスのお母さん含む)も複数入っています。

    高学年や中学生くらいになると
    家庭以外の人間関係の要因割合が増えてくるとは思いますが、低学年くらいで荒れているって、もう焦点は絞られるわけですよ…

    なんにせよ、簡単に行く事ではなく長期戦です。

    デモね、娘は泉中に通わせたいなぁと思っているのです。それは私が義務教育中に5つの学校を経験した事が理由かもしれないし、親のエゴかもしれない。

    でも、痛々しい現場も経験した上で地域への愛着も育ててほしいと思うわけですよ。

    目をそらしたら、一生見えなくなることも多いわけで…

  2. 野川礼一 より:

    議員さんがそんなことでは
    市職員曰く、市民の代表者は市議さんであると、明言しているとの記事をあるブログで拝見したことがあります。もしその当理だとすると、最後の部分・・とかだと困るんだけどなー。で終わっては、こちらこそ、市民はそんな市議では、困るんだけどなー。

  3. シュンスケ より:

    Unknown
    >私は、根本的に悪い子どもはいないと思っていますし、おそらく、どの中学校でも荒れている状態は多かれ少なかれあるものです。

    善悪基準は所詮相対的なものですからねぇ。
    人それぞれに判断される概念に過ぎません。

    教員や指導員には、まず学校制度そのものが問題があると自覚した上での柔軟な対応をとって頂きたいと思います。

    経験の少ない子供が突然、地域から無作為に選ばれた多くの人の枠組みの中で、多かれ少なかれ葛藤を覚え、生き辛さを感じるのは本能であり必然の事です。。

    器用に表現する事ができないのは未熟故、仕方ありません。
    大人でさえそれが出来ているかと問えば怪しいものです

    ただ機械的に制度に治まるだけでなく、人と人として心から向き合える、そんな精神性の高い大人が増えてくれる事を切に望みます。

    >何度か質問しましたが、なかなかはっきりとした答えは返ってきませんでした。

    お疲れ様です。
    いくら掛け合っても反応がない。
    だから所謂 せ い じ 的な関わりは嫌いです。

    傍観者は無責任なものです。

    辛抱強く続けていれば必ずそれを認めてくれる人が現れてくるものと願います。

  4. 佐々木ナオミ より:

    Unknown
    おしりえくぼ様
    そうね、まさにその学区でしたよね。
    小1からですか。家庭環境というのは大きいけれど、かといって、小田原っ子の約束を唱えたら、親も子どももよくなる訳じゃないと思います。
    「早寝早起き朝ごはん」が、できればベストだけれど出来てないからと言って、子どもが悪くなるとは限らないし、出来ているのに悪い場合はどうするのかしら。子どもの問題行動は何かのサイン。それは、家庭の問題なのか、学校の問題なのか、友達の問題なのか、もっと違うものなのか、丁寧にその子と向き合い、解決していくしかない。そうすると、先生にはもっともっとゆとりを持っていただかないと無理なんだと思います。とにかく、先生には、授業をしっかりとやっていただくことと、子どもと丁寧に向き合っていただくこと、そして教育行政には余計な御世話をしないことだと思います。

    野川様
    私自身は困るんですけど、本当そうかどうかは、わかりません。本当に困ることかどうか、これから調べていくしかないですね。この件に関しては疑問もありますけれど、予算は承認してしまったので、一般質問ででぜひ取り上げたいところです。

    シュンスケさま
    子どもの良い悪いって、結局決めているのは大人だし、それはなんか、相性の問題だと私は思っています。学校で、先生の評判が悪いといわれている子に限って、私は「こんないい子がなぜ?」と思うことが多いです。
    そう考えると、内申書や絶対評価でその子の人格すべてを「評価する」ということが、そもそもおかしなことだと思います。出席日数とか、服装とか関係なく、テストの点数のみで、成績をつければいいと思うし、それは所詮、「学力しか」現わしていない、ということが分かれば、成績の意味も、学歴の意味ももっとシンプルで、違ったものになってくるんじゃないかと思います。

  5. 佐々木 ナオミ より:

    Unknown
    おしりえくぼ様
    そうね、まさにその学区でしたよね。
    小1からですか。家庭環境というのは大きいけれど、かといって、小田原っ子の約束を唱えたら、親も子どももよくなる訳じゃないと思います。
    「早寝早起き朝ごはん」が、できればベストだけれど出来てないからと言って、子どもが悪くなるとは限らないし、出来ているのに悪い場合はどうするのかしら。子どもの問題行動は何かのサイン。それは、家庭の問題なのか、学校の問題なのか、友達の問題なのか、もっと違うものなのか、丁寧にその子と向き合い、解決していくしかない。そうすると、先生にはもっともっとゆとりを持っていただかないと無理なんだと思います。とにかく、先生には、授業をしっかりとやっていただくこと(なぜなら、やっぱり授業が子どもとの信頼関係を結ぶ最も大きな要素だからです)と、子どもと丁寧に向き合っていただくこと、そして教育行政は余計な御世話をしないことだと思います。

    野川様
    そんな議員で申し訳ありません。私は悩みつつ考えつつ進んでいくしか方法を知りません。これからこの取り組みが意義があるのかどうか、市民の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。野川さんはどう思いますか?

    シュンスケさま
    おしゃる通り、子どもの良い悪いって、結局決めているのは大人だし、それは結局、相性の問題だと私は思っています。学校では先生の評判が悪いといわれている子に限って、私は「こんないい子がなぜ?」と思うことが多いです。
    そう考えると、内申書や絶対評価でその子の人格すべてを「評価する」ということが、そもそもおかしなことだと思います。出席日数とか、服装とか関係なく、テストの点数のみで、成績をつければいいと思うし、それは所詮、「学力しか」現わしていない、ということが分かれば、成績の意味も、学歴の意味ももっとシンプルで、違ったものになってくるんじゃないかと思います。

    でも、先生たちって、本当に大変そうで、これ以上仕事を増やす様な事、私にはとても言えない。

  6. 野川礼一 より:

    上げ足取りのコメントで
    言葉尻の揚げ足取りのコメントで済みませんでした。
    小田原に越して来てまだ日が浅く、市政のことが良くわかりません。生徒指導員がもし議員のコメントにあるような、退職警察官だったり、警備会社社員だったりしたら、議員の働きかけで小田原市政は、どうにかしてくれるのでしょうか。どうにかするつもりなら、もっと前向きなコメントが欲しかっただけで、議員の取り組みにケチを付けるつもりはありません。

  7. 佐々木ナオミ より:

    Unknown
    「娘は泉中に通わせたい」

    さすが!えらい!

    いま、真面目に子どものことを考えれば、地域の学校ではなく私立へ、というのが主流です。もちろん昔も私立に通うお嬢様と書いたけれども、ここまで私立受験熱が盛り上がった背景には、格差社会に対する不安と地域の学校に期待できないというのが大きな要素だと思います。もちろん、私立が悪いわけではないけれど、県も中高一貫校を作ったりして、受験日を私立受験日に当ててきたり、説明会に6000人も集まった!なんて聞くとやっぱりちょっとどうかと思います。

    私も子どもには地域の中学に行ってほしいと思います。私たちは納税者として、必要あらば子どもたちの幸せのために学校の在り方に声を上げていく必要があります。お互い頑張りましょう!

  8. 数寄屋橋 より:

    Unknown
    はじめまして、数寄屋橋と言います。興味深く読ませて頂きました。

    「荒れ」の原因は、小、中、高で異なるようですが、「学科の習得が未熟」な事が大きな原因であると言われており、私もそう思っております。前年の学年での未習得知識が多いために、授業で教諭の解説が分からない程苦痛なことはありません。わけがわからず、50分も椅子に座っている苦痛、、これは、苦行です。私も大学の講義で、説明が下手なものは、苦痛で苦痛で、図書館にこもって書籍に向かっていたほうが、ずっと充実しておりました。また、まわりの生徒が授業を理解している中で、自分だけが理解できない。このことは、結構傷付きます。自信を失います。毎日毎日授業を受けることは、毎日毎日、自信喪失をする日々です。そして自己存在への疑問、自分なんて生きる価値が無い!という思いを募らせて行くのではないでしょうか。

    日本の義務教育では、「平等主義」が大切されています。私も機会の均等という意味では、大切な思想だと思います。しかし、生徒の習熟速度の差異を認め、受け止める事を欠いてしまっているように思うのです。すなわち、授業中に十分に習得できなかった生徒をどのようにケアするのか、という点に日本の義務教育のシステムの未熟さがあるように思います。もちろん、自学自習で補うことは、大切な行為でありますが、放っておいていいことではないと思います。

    更に、「荒れ」は、生徒数の多い学校で発生しやすい点に留意すべきと思います。「生徒数が多い」という事は、「教諭1人に対する生徒の割合が多い」ということですが、このこと意味の一つは、教諭との関わりが薄いということだと思います。教諭が、習熟に問題を抱えている生徒に十分時間を取れるような勤務状況になっていないのではと思います。

    我々が市民として、「荒れ」の問題に関わるとするならば、生徒の本音と教諭の本音に接することから、始める必要があるように考えております。

  9. sasaki より:

    Unknown
    数寄屋橋さま

    コメントありがとうございます。
    お返事が遅くなって申し訳ありません。

    まったく同感です。
    とにかく、1対40というのが無理です。
    中学校こそ少人数にすべきです。一番多感で、心身ともに不安定な年頃の彼らです。

    子どもは、勉強ができないのが嫌なのではないと思います。勉強ができないことで、怠けもののように扱われたり、集団の中から取り残されたり、そしてそのすべての責任は自分なのだと思い知らせれ続けることが嫌なのでしょう。

    分からない授業、自分が参加できない授業をずっと聞かされる長い時間、彼らは何を考えているのか。そりゃあ、寝たり、マンガ読んだり、メールやったりしたくもなるでしょう。

    私も塾のセンセイでしたが、20人の子どもたちを前にいつも気になっていたことは「みんな、ついてきてる?あたしの話、理解できてる?」ということ。難しい言葉は使わない、専門用語は何度でも説明を、どんな基本的な質問にも真摯にこたえる。
    でもこれは、「授業と生徒だけに集中できる」という余裕があってのこと。
    そういう余裕が、きっと学校の先生たちにはないのだと思います。

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